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性癖は選べない。

by 榊花乃

1月2日放送の「ご本、出しときますね?」ずっと楽しみにしていて、先ほど拝見いたしました。

その中で朝井リョウさんがお話しされていた、性癖は選べないという話。他の作家さんたちも、うんうん、と首を縦に振り、納得していらっしゃった。
私も、確かにそうかもしれないと、思った。このことに惹かれる、このことで興奮する、というのは、自分で選んだことじゃなくて、自分の中から自然に生まれたこと。
村田沙耶香さんは、「そのことに素直になることで、誰かを傷つけてしまうのは、その人自身がすごく苦しいのではないか。」とおっしゃっていた。
確かに素直でいようとすると誰かを傷つけてしまうという葛藤はものすごく苦しそうだ。
というか、この葛藤、私、知っている。私も似たような葛藤をよく抱く。

私は、素直でいることこそ正義だと信じて生きてきた。嫉妬も軽蔑も、愛情も尊敬も、すべて言葉にして伝えようとした。心の中と表出させる言葉が、等しい時、私は透き通っている気がして心地よかった。だけど、そうして心地よくなると、私の真っ直ぐすぎる矢が刺さって傷ついている人がいることがあった。私はそれを見ると私のせいなのにすごく傷ついた。
だけど、どうしても素直でいることが正義だという思いは揺るがず、さらにその時に覚えた、傷つけてしまって悲しいという気持ちや、申し訳ないという気持ち、それでもやっぱり素直でいたいという気持ちを、また素直に伝えるのだった。
そうすると、許してくれる人もいて、だけど、もう話もしてくれない人もいた。相手が後者になってしまったと気がついた時には、もう遅い。

素直でいて、現実と心とが透き通っていないと、生きている心地がしない。だから、素直でいることをやめられない。
これは、選ばずに存在する性癖に似ている気がした。

性犯罪を犯してしまう人の葛藤がすこしだけ分かる。葛藤というより、諦めのようなものかもしれない。世の中の法律や常識などの圧倒的な善悪の基準に諦めを覚えて、本当の自分を捨ててみようとし生きた心地を失って、ただ呼吸だけして、時だけ流れるように命をこの世に存在させるんだと思う。
それでも時々、どくん、どくんと、本当の自分が心と脳を叩く時があって、その時に本当に自分を露わにすることを許すと、それはこの世で罪とされ、自由を奪われる。だけど、本当の自分を抑えて生きなければいけない日常には、そもそも自由なんてなくて、裁きとして自由を奪われることは、大した恐れではないのではないのかもしれない。
そしたら、多少の裁きがそのあとにあったとしても、今、本当の自分を認めてあげたい、その快楽を得たいと考えるのが自然だろう。

そんな自分を抑制するのは、なんだろう。それは、自分がいつかの誰かに教わった思いやりの心、ただそれだけだと思った。

朝井リョウさんは、「性犯罪者の更生は難しそうだ。」と仰っていた。

私も素直でありたいという気持ちがよく分かるからこそ、更生の難しさを感じる。
それでも、性犯罪で傷つく人のことを思うと、やっぱり性犯罪者を許すことができないし、更生をしていただきたいと思う。(人間として、更生することが善なのかは果たしてわからないけれど。)

更生は、素直でありたいという欲情と、思いやりの葛藤の末にあると思う。
だから、難しい。
性犯罪をなくすためには、その葛藤を、包み込み癒すような、他人からの大きな思いやりが必要だと思った。

私は、性犯罪等のニュースは少し苦手で、遠ざけているのだけど、できることというか、しなければならないことは、良い悪いの判断の理由を自分の中で持つことだと思った。良い、悪いの奥を考えてみることが大事だと思う。

マジョリティ優勢の世界になってしまったら、みんながそういうからそう、という弱い気持ちに世界が引っ張られて、どんどん冷たい世界になってしまう気がする。

自我優先して、人を傷つけてしまいそうなときに、いつかの誰かにもらった温もりが、そのトゲを癒してくれるような、そんな暖かい世界にならなくちゃいけないと思う。

何が良くて、何が悪いか、そして、その奥にはなにがあるのかを、自分の愛情を込めて考えたいと思った。


榊花乃
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