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夢の古書店巡り

by 榊花乃

今日は、友人と餃子を食べに、神保町に行った。神保町は、何度か訪れたことのある町ではあったが、いつも雨が降っていて、傘をさし、せかせかと歩くことばかりだったような気がする。つまり、晴れた神保町に来るのは、今日が初めてだった。

大通りは広く、その幅よりも高いビルが両手に伸びて、影を落としている。そのビルたちの一番下の階に、ずらーっと古書店が並ぶのが、赤信号の横断歩道を待っている時に見えた。見えるだけでも古書店が10はある。早く信号が青になって欲しいと思った。青になったら、マラソンのスタートのように駆け出してしまうんじゃないか。それほど心は足より先行して、前進した。
晴れの日の古書店は、お店の前にワゴンを出して、本を陳列していた。松の内の最後の日の爽やかで冷たい風が、本たちの背を撫でる。誰からの贈り物としてか、あるいは、誰かの断捨離の末にか、いかなる理由であれ、此処にきて、次の行方を、なんともなく待つ本たちが、冬の風に濡れる。

夏はどこにいたのか。それぞれの本が、それぞれの旅を経て、今ここにいることを想像すると、本の背に人差し指と中指をかけた時に、その旅物語に吸い込まれてしまうんじゃないかというほど、胸が高揚する。こうして私も本たちの旅の一部分になるのかと思うと、今度は未来が広がって、その果てしなさは、想像が負けてしまうほどだった。

あるワゴンには、漱石の文献ばかりが陳列されていて、中には、大学受験の時に読んだものもちらほらあった。また、あるワゴンには、何年か前の地球の歩き方があって、親鸞辞典というものがあって、手作りルアーの作り方という本もあった。中に入れば、もっと面白い本がたくさんあって、レジの後ろには、何万もする特別な古書があると思うと、ガラガラとドアを開けてみたかったけれど、今日は、友人がいるのでやめておいた。友人に申し訳ないのももちろんだけど、私自身が、友人そっちのけにして本に溺れてしまうことが予想できて、それがどうしても許せなかった。
日を改めて、どっぷりと浸かりに来ようと決めたら、世界一周よりも大きな旅券を手にしたような気持ちになって、思わず目をきゅっとつむった。

思えば古書店が好きになったのは、ずっと探していた、三島由紀夫の「癩王のテラス」という本を鎌倉の古書店で見つけた日のことだったように思われる。私はその時、初めて、原価より高い古書を買った。そのずっと探していた本が、たくさん旅して、そして今は私の本棚にあるこの気持ちをなんと形容していいか解らないが、その出会った時の感動に虜になってしまったのであった。それから古書店を見つけるたびに、感動的な出会いがあるかもしれないと思うと、どうしても入らずにはいられないのだ。これは、古書店中毒と呼ぶと丁度良いかもしれない。

本は、人が読むために、人が書いたもので、生まれた時から、熱が通っているはずだ。さらに本は、読者から様々な温度を得ながら、旅をする。
その旅のひとまずの終末が、ぎゅっと集まり、並んでいるのが、神保町だ。
薄茶色いその店には、様々な世界が静かに呼吸をして、次の行き先を待っている。

次は、私を感動させてね。と、本を手に取り、その世界を開くのだ。

古書店中毒はやめられない。


榊花乃
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