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小説『「可哀想」いかがでしょうか。』①

by 榊花乃

「んー、地雷とかそうゆうのは、もうマンネリ化してるんだよね。」
五島さんは、難しそうな顔で写真を見つめ、ため息交じりにさらに続ける。
「こう、痛々しいものじゃなくてさ、心の苦しみが見えるようなものが欲しいんだよ。」
右足を失ったカンボジアの少女が、黒い真珠のような瞳で、五島さんを見つめている。
「タイトルを変えるのはどうでしょう。例えば『学校に行きたいのに』とか。心の苦しみを含ませられる気がします。」
キムさんも平行眉をハの字にしならせて、長い睫毛の隙間からその写真を蔑むようにして見る。
少女も等しく、キムさんを見つめた。
「んーどうにもこうにも、やっぱり海外ものはもう厳しいよね。もっとリアリティがないと。例えば日本の子どもだったりしたらさ。ほら身近じゃない?ぐっと来るんだけどな。」
そろそろ、五島さんのワイシャツの汗ジミも消えて来た。パタパタと仰いでいたタオルハンカチを右後ろのポケットにしまうと潔さを携えた顔で、こちらに3歩歩み寄った。五島さんの足音に遅れてキムさんのミュールの音が2回。そのあとは、白いこのギャラリーに一旦の静寂が生まれてクーラーの涼しさだけが時を包んだ。
「申し訳ないが、今回の作品を買うことはできない。今やもう、人々はある程度の悲しみの耐性を手に入れてしまっているんだよ。もっともっと悲しいものを求めているんだよ。あなたは途上国専門で撮られているが、今のスタイルのままでは難しいんじゃないか?」
五島さんは、そうそうと自分の言った言葉に頷いて口をキュッと結んだ。
キムさんも心配そうな目で私を見る。これが現実よ。睫毛の先から軽蔑がこぼれ落ちた。
2人を見送ったあとクーラーを切って、全く売れなかった写真たちを見つめる。ほんの1センチ角ほどの安堵感があるのは確かだ。私たち今日もまっすぐ生きたね。生き残れたね。売りたいと思ってギャラリーを開いているはずなのに、この歪んだ世界に摩耗されなかった彼らを褒めてしまう自分がいる。アフリカの少年がカカオ豆を頭に乗せて、もう懲り懲りだよと私を見つめる。地雷を踏んで右足を無くしたカンボジアの少女は赤土の道の上に立ち、どこに向かえばいいのと私を見つめる。インドのシンナー缶を握った少年が、空っぽの心を私に見せる。私たち本当に悲しいね。まっすぐに悲しいね。涙の粒が写真から溢れ出でて、白い箱のギャラリーが涙でいっぱいになるのが気持ち良かった。ひとしきりその快感で遊ぶと背中に車が行き交うのが見えて、瞬時に今へと引き戻された。右から1つ1つ写真を下ろして、電気を消しギャラリーを閉じた。ガラス戸に映る私はきっと前にも後ろに進めず、ただただ周りを見渡し空を見上げることしかできないでいた。

近年でも、先進国の人々は豊かさを極めることに飽きずにいる。欲しいものを手に入れれば心が満たされると信じ、何かを欲しいと思えば労働した。しかし、欲しいものは年々変化して来た。嬉しい気持ち、楽しい気持ちは日常のものになり、心を満たすには少々足りなくなっていった。そこで人々が求めたのは悲しみだった。悲しみで心がグラグラと揺れると生きた心地がして幸せなのだった。悲しみといってもいろんな悲しみがある。貧しい子どもを見て悲しみを得ると、人々は自分には憐れむ心があると自らの優しさに心を温め、あるいは自分はだいぶ幸せで自由な場所にいると気がつき、天国のような人生を有り難く思うのだった。そんな先進国の人々に向けて、悲しみは商品となって市場に現れた。写真であったり、書籍であったり、悲しみはありとあらゆるメディアを通して人々に届けられた。中には1泊2日の悲しみツアーというパッケージツアーも販売された。忙しく働くオフィスレディーたちは、ヨガを辞め、土日の休みで戦争証跡を見たり、失恋の音楽をバスで聞いたりして、悲しみをたっぷり胸に貯めて新しい月曜日を迎えるのであった。



榊花乃
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