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ずっと変わらずに、ずっと変わり続けた、南三陸。

by 榊花乃

金曜日、残業までしっかり働いたあと、池袋駅のコインロッカーに忍ばせていた、バックパックを背負って、東京駅へ向かった。

大手町でお風呂に入り、鍛冶橋のバスターミナルへ向かう。
一関行きの夜行バスに座ると、1週間の疲れがどっと降ってきて、次に目を開けた時には、ひんやりとした一関の朝だった。

まずは、気仙沼駅まで大船渡線で行き(約1.5時間)、そこからは、BRTというバスに乗り志津川駅まで行く(約1時間)と、南三陸の町につく。

これは、見晴らし台からの景色。
この湾に10メートルの津波が押し寄せた。

振り返ると、南三陸さんさん商店街が見える。
まずは、そこで情報収集をすることにした。

商店街には、写真スタジオがあり、津波が町を流し去って間もない時に撮られた写真も飾られてあった。
写真の中には、ごっそりと建物と船や車、そして人が押し流されたふるさとを見つめる町民たちの背中があった。写真に使うには、変な比喩だとは思うが、時が止まったような無音の写真だった。しばらく写真を見ていると、心がそこへ吸い込まれた。昨日と明日が消えてしまったような気持ちになった。額縁の外側で商店街の賑やかな声が聴こえて、今に引き戻された。あの写真の人たちは、本当はどんな気持ちだったのだろう。それはきっと、今の私じゃ分かりえないような気がした。

今朝の気温は20℃。バックパックに詰め込んだ半袖のワンピースは夏物だった。
海風に冷えた体を、カフェNEWS STAND SATAKEのキャラメルカフェラテで暖めた。

カフェの本棚には、たくさんの本が並んでいた。その中で特別賑やかなこの一冊と私は出会った。
このフォトブックでは、南三陸で生きることを決めた人々が、いろんな衣装を着たり、いろんなポーズをして、私を楽しませようとしてきた。私は、南三陸の皆さんが元気そうなのを見て、すごく安心した。ついさっきまで、あの写真の背中の気持ちを考えていたから、ほっとして涙が出てしまった。

そして、その強さがほんとうにかっこよかった。海と山と自分たち自身を信じて、一歩ずつ、丁寧に、愛を込めて歩いてきた結果が、2017年夏の南三陸にはあった。心が擦り減る中で時には後ろを振り向くこともあったろう、それでもきっと「前を見よう」と思わせる海が、人が、愛が、ここにはあるんだと確信した。

海岸から宿へ向かうためヒッチハイクをしていると、車を止めてくださった首藤さん。首藤さんは、ボランティアで訪れた人からのメッセージをノートに集めていらっしゃった。震災当時から始められたというそのノートには、600通のメッセージが書かれていた。「がんばれ」の言葉はもちろん、同じ数だけ「ありがとう」の言葉があった。

写真は、南三陸ホテル観洋のラウンジから撮ったもの。ここから見る海は、絶景です。(今日は残念ながら曇りでした。)

首藤さんは、震災の話、それから復興の話も一つ一つ、丁寧に教えてくださった。
もっと同情したり、どんな言葉を返していいのか分からなくなったりするかと思っていたが、難しいことは、何一つ無かった。それは、首藤さんが確かに前を向いていて、振り向いたってそのあとちゃんと前を向く人だと信じられたからだと思う。
確かに、首藤さんは、震災を恐ろしく辛かったと感じていたし、今でも悲しみがあちらこちらに残っているようだったけど、新しい橋が架かることを楽しみにしていたり、ボランティアの人との出会いを楽しんでいるようだった。

◇まとめ
津波が町を流し去ったあの日、どんな気持ちだっただろう。
きっと悲しみの淵からこぼれ落ちそうになったことだろう。もしかしたら、それすらも出来なかったかもしれない。昨日と明日の光を失って、歩く道を見失ったかもしれない。
それでもここまできた。その結果が、今の南三陸のすべてだった。笑顔と暖かさの奥には、確かな愛情の強さが見えた。
町から建物が消え去っても、南三陸の海と山と人がお互いを愛し合う絆は消えることはなかった。むしろ、よりいっそう、他の地域からくる人々を照らすほど眩しく輝いていた。

残業ばかりの5連勤の疲れを東京から引きずってここまできたけれど、南三陸の強い愛情に抱かれて、むしろ元気になったような気がする。

また、晴れた日に、もっと眩しい南三陸に会いに行こうと思う。


榊花乃
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